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東京地方裁判所 平成3年(モ)10423号 決定 1991年3月08日

債権者

甲野一郎

債務者

乙川春子

主文

一  原決定を認可する。

二  訴訟費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

一一件記録によれば、次の各事実が一応認められる。

1  債権者と債務者は、男女の交際をしていたが、債務者が債権者に妻子があることを知ったことなどから不仲になり、債務者が債権者の行為を強く責めるようになって、平成二年七月二七日、債権者と債務者が揉み合った際、債権者が電話の受話器で債務者の鼻を負傷させたことがあった。

2  債権者と債務者は、平成二年九月三日、両者の関係を解消するなどの目的で、次のような内容の合意をし、これについて、公正証書を作成した。

(一)  債権者が債務者に対して愛情をもって交際しなかったこと、及び前記1の債権者の行為に関する慰謝料として、債権者は債務者に対し一二〇万円の支払義務があることを認め、これを、次のとおり四回に分割して支払う。

① 平成二年九月末日限り

② 平成二年一一月末日限り

③ 平成三年一月末日限り

④ 平成三年二月末日限り

(二)  債務者は、債権者及び債権者の関係者に、理由のいかんを問わず、電話、訪問その他一切の交渉を持たない。

(三)  債務者は、右(二)の約束に違反したときは、債権者から右(一)の金員の支払を受ける権利を失うほか、債権者から受領済みの金員を債権者に返還する。

(四)  債務者は、債権者に対し、この合意によるほか、損害賠償請求その他一切の金銭的請求をしない。

3  債権者は、前記2の合意に基づいて、平成二年九月二七日、債務者名義の銀行口座に第一回分の三〇万円を振り込む手続をし、これを支払った。

4  債務者は、平成二年九月一七日以降、債権者が本件仮処分の申立てをした平成三年一月四日までの間、債権者の自宅、勤務先又は債権者の妻の勤務先にまで連日のように電話をしたり、直接債権者の自宅や勤務先を訪れ面会を求めたりして、債権者の行為を批判し、債権者に対し右公正証書による合意の内容の変更を迫った。特に、債権者から、債務者の要求を拒絶されると、執拗に債権者を誹謗、中傷するなどして自己の主張を押し通そうとした。

債務者が、債権者を直接訪問し、又は債権者と面談した回数について、平成二年一二月の一か月間の状況をみても、八回あり、平成二年一二月二九日午前一時過ぎに債務者が債権者宅に行ったときのように、債権者が警察官の出動を要請したこともあった。また、電話による金員支払や、公正証書の書替えの要求は連日のごとくであり、一日に複数回の電話をすることもまれではなかった。

5  債務者は、平成二年九月二八日、豊島簡易裁判所に対し、債権者を被告として金八〇万円の支払を求める損害賠償請求の訴えを提起し、他方、債権者は、同年一一月六日、債務者の不法行為及び債務不履行を理由として、損害賠償請求の反訴を提起したが、右各事件は、東京地方裁判所に移送されて、審理が進められている。

なお、平成二年一一月六日、右豊島簡易裁判所における損害賠償請求の訴えの審理の際、事件が調停に付されたが、不調に終わり、債権者は、同年一二月一九日、債務者が債権者を訪問したり、債権者に電話することを差し止める調停前の措置を求める申立てをした。

6  債権者の本件仮処分命令の申立てに基づき、東京地方裁判所は、平成三年一月一九日、「債務者は、債権者及びその妻子の自宅、勤務場所に訪問し、電話し、又は面談を強要してはならない。」との仮処分決定をした。しかし、債務者は、今後も、裁判上の権利行使のほか、債権者に対する直接交渉の意思を持っている。

二以上の各事実を前提にして、判断する。

一般的に、不法行為を受けたと主張する者は、その加害者とされる者に対し、裁判外でその被害の回復を求めて交渉し、請求をすることが認められるが、その権利行使の方法は、社会的に容認される態様によってされるべきであり、その限度を越える場合には、右の交渉を求められ、請求を受けた者は、自らの人格的な利益に基づいて、被害者とされる者からの面談の要求や電話による応答の要求を拒絶することができ、また、裁判所に対して、右の人格的利益を侵害する者の行為の差止請求をすることができるものというべきである。

本件において、債務者は、平成二年九月三日に債権者との間で前記一2のとおり合意が成立したにもかかわらず、債権者に対し、その合意の変更、合意の金額を超える金員の支払などをもとめて頻繁に電話をかけたり、直接債権者を訪問して、同様の要求をしたりしてきたが、その日時、場所、回数、期間、態様等をみるに、債権者の自宅、勤務先又は妻の勤務先に対して、同年九月一七日以降同年末に至るまで、連日のごとく電話をかけるとともに、債権者の自宅や勤務先に頻繁に押しかけて交渉に応ずることや金員の支払を求めていたものであり、しかも、節度を保って権利の主張をするのではなく、債権者側の不都合を一向に顧みず、自己の要求を貫くまで執拗かつ威迫的に債権者を責め立てるという態様のものであって、債務者の権利に関する主張内容の当否は別として、右債務者の行動は、権利行使の方法として社会的に是認できない程度のものであるというべきである。

債務者は、今後も、裁判上の権利行使のほか、債権者に対して直接交渉をする意思を持っている事情にも照らすと、債権者が急迫の危険を避けるために仮処分命令を受ける必要性についても、これを認めることができる。

以上によれば、債権者には保全すべき権利及び保全の必要性が認められ、債権者の申立てを認容した原決定は相当であるから、主文のとおり決定する。

(裁判官高橋譲)

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